やったこと
- 引っ越しの荷造りしてた
- ギター弾いてた
- NHK受信料の住所移転手続きした
- 不要なメルマガを片っ端から解除した
- その他諸々の事務手続きをした
- 髪切りに行った
所感
家にいるとだらけるので家にいてはいけない
家にいるとだらけるので家にいてはいけない
この記事は地方在住ITエンジニア(元・地方在住も可) Advent Calendar 2015の3日目です。
岩手県と栃木県でそれぞれリモートワークをして暮らしていた時の所感について書きます。
「地方でエンジニアとしてリモートワークして東京のクライアントと仕事したい」という人の参考になれば幸いです。
なお、地方で一人暮らしでリモートワークという暮らし方をしていた理由については長くなるので本ブログの別エントリーでいつか書きますが、特に深い家庭の事情とかはありません。一言で言うなら「好奇心でやってみた」程度です。
また、地方に引っ越す前は神奈川県川崎市で3ヶ月ほどリモートワークをしていた時期があります。
2014年10月~2015年4月末まで岩手県盛岡市でアパートを借りて一人暮らししていました。
長らく首都圏で暮らしていたので車は持っていませんでした。なので、最初から車がなくても生活が成り立つような利便性の高いところに住んでいましたが、結論から言えばやっぱり車があった方が良かったです。
岩手県盛岡市という土地柄もありますが、盛岡市街地でも冬は最低気温-10℃、最高気温が0℃とかになって、1日中外出したくなくなるくらいの気候の日が多く、その中を徒歩で出かけるのもなかなか厳しいものがありました。そのため、歩けば10分、自転車で数分のような距離の場所ですら外出が大変でした。引っ越すに当たり、車を買わないことは織り込み済みだったので車がなくても生活できる利便性の高い場所(一人暮らしが多い岩手大学周辺)を選んだのですが、それでも厳しいレベルでした。
私は岩手大学出身で、盛岡で4年間「自転車+徒歩」だけで生活できていた経験があったので、車がなくても問題無かろうと思っていたんですが、流石に歳を取ったのか、はたまた在宅で仕事が出来てしまうということからの甘えからか、外出するのになかなかの思い切りが必要でした。
では地元の人はどうやってこの問題を回避しているか?というと、やはり自家用車を所有することでした。。というか自分も何度も車を持つことを勧められましたが、ずっと盛岡に住み続けるか分からなかったのと、維持費の問題で車を持たない決断をしていました。が、無理してでも車を持っていればまた状況はいろいろ変わっただろうなと思います。
大学を卒業してからも、盛岡を中心に趣味の活動をしていたこともあって、盛岡に知り合いは結構いましたが、朝9時から遅い時は夜11時まで自宅にこもって仕事をしている私と地元の企業に務める知り合いとではどうしても生活のリズムが合わず、平日に会うことは非常に難しくなります。
土日は趣味の活動等で会うことが多くなりましたが、平日はどうしても会うことが出来ないので孤独に夜を過ごすことになります。この辺、今考えればもう少し工夫できたような気もしますが、当時は仕事が忙しい時期だったことも重なって引きこもりがちになってしまっていました。
もし今同じような環境で暮らすとするなら以下の様な対策を取ると思います。
ちなみにこの問題、都市部でリモートワークしてても同じ問題が発生するのでは?と思われるかもしれませんが、都市部だと遅くまで仕事をしてその後飲みに行く生活スタイルの友人が結構いたので、夜にお互いの仕事が終わってから都内で合流して飲むとか、勉強会に行ってそこで会うとかが簡単に出来たので、そこまで暇をもてあますようなことはありませんでした。
なお唯一良かった点として、家から徒歩15分ぐらいのところにカラオケがあって、平日の夜はいつも空いていたので1人で行ってギターを思う存分弾くことができました。住んでいたアパートは壁が薄すぎて日常生活の生活音ですら全て筒抜けという恐ろしい状態だったので、近所にカラオケがあったのは本当に助かりました。
2015年5月~2015年11月末まで栃木県栃木市の実家で親と同居していました。
実家暮らしなので、ということもありますがすぐ近所にコンビニやスーパーがあり、少し歩けば駅まで行けるので車がなくても普段の生活には困りませんでした。徒歩+電車で十分自分が必要とする行動範囲を移動できるようになったので、移動の問題は解消されました。
例えば栃木から渋谷までだと2時間半程度で行くことが出来ます。なので土日の勉強会や、都内の友人に会いに行くぐらいは余裕でできるようになりました。なんだかんだで東京は便利で、岩手に行く前の自分は「ネットがあればもはやリアルTokyoなぞ不要!Amazon万歳!ネット万歳!」とか思ってたアホな私ですが、勉強会はどうやったって東京が圧倒的に多いし、著名な人に会って話を聞こうと思ったら東京に行くしか無いケースが多いのが現実です。 もともと自分も渋谷javaという勉強会を定期的に主催していた身なので、またその勉強会の運営に関われるようになって、再びいろいろな知見を得られるようになったのも良かったです。結局のところ、まだ自分は東京で学ぶことがたくさんあったんだなということを思い知らされました。
一戸建てでかつご近所もめっちゃ離れてるような環境なので思う存分ギターが弾けます。これは本当に良かったです。音楽活動するなら地方に拠点を持つのがベストなんじゃないかと思うくらい、早朝から深夜まで弾けます。好きな時間に楽器を弾くなんてのは就職してからずっと出来ていなかったので、この点を考えるとホントに地方の一戸建てに住むのはベストな選択です。
まぁAmazonで買えばいいんですが、地元の本屋が淘汰されつくされてしまい、私が読むようなIT系の技術書が地元で全く買えないような状態になっていました。盛岡では運良くエムズエクスポ盛岡店が出来ていて、わりと新し目の技術書にありつくことができたので思う存分立ち読みができた購入できたので良かったのですが、栃木市には残念なことにオライリー本のようなマニアックな本を売ってる本屋がありませんでした。
仕方なく基本Amazonで全部買ったり東京に行った時に(なんだかんだで週1は東京に行っています)大きめの書店に寄ったりしています。あと最近はkindle版の技術書が増えたのでkindle版がある場合は積極的にそちらを活用しています。あとはbookscanのプレミアムライト会員にもなっているのでamazonで中古で買ってそのままbookscanに配送してスキャンしてもらう、なんてこともやっています。
こうやって書いてみるとメリットよりもデメリットの方が多くなってしまった印象を受けるかもしれませんが、首都圏と比べると生活環境の良さは地方が圧倒的でしたし、人と会わない時間が長くなることで自分のこれまでの人生や将来についてなどの普段考えないことを思索する時間を取れたり、趣味に没頭できたりといろいろと利点もありました。
いろいろ振り返って思うのは、常に人とのコネクションを切らさないようにすることだと思います。私は首都圏で働いていた時は、基本仕事での人間関係でしたが、仕事外でも会うような仲間が常にいましたし、孤独を感じるようなことはありませんでした。
それが地方に行ってできなくなったのは、自分が地方でコネクションを作る努力を怠った為だと考えています。今考えれば、地方にいる間はいろいろ理由を付けて新しい場所や分野で人と会うことを避けてしまっていたような部分もあり、今後も同じことを繰り返してしまう可能性があるので、もう少し自分の興味の幅を広げて新しい人脈を常に広げていくよう心がける必要があると感じました。
そのことを学ぶことができただけでも、この1年半地方でリモートワークを続けてきた意味はあったのかなと思います。
=
はパターンマッチ演算に使用される。代入演算子ではない。_
は常に未束縛の変数として機能し、パターンマッチングではワイルドカードのように振る舞うタグ付きタプル
と呼び、型チェックみたいな使い方ができる(でもそれエラーになってプロセス死ぬんだけど。。erlangの死んだ奴は生き返らせるな理論に基づくとそれでいいのかな?)36> [97, 98, 99]. "abc"
自分は今年で旧エヴァのミサトさんと同い年という感じで若くないせいか、たまに自分より年下の知り合いに会うと、仕事の悩み相談みたいな展開になることが多い。
会社もバックグラウンドも年齢もそれぞれ違う彼らの悩みは多種多様であるように聞こえていたのだが、最近ある共通点に気づいた。「このままじゃいけない」と無意識に思い込んでいる点である。
今以上にスキルをつけなければいけない、成長しなければいけない、ユニークな仕事をしなければならない、など人によって異なるのだが、なぜか「~なければいけない」の思いを持っていた。
そしてもう一つ共通しているのが、その「~なければいけない」の目的が見えないという点である。何となく焦っているのは分かるのだが、その焦って行動した結果によって自分が何を得たいのか。これまで色んな悩み人と会ったが、共通してそれが見えてこなかった。それとなく中長期的な計画を訪ねてみても、明確な答えが帰ってきたことは一度もない(それが分からないから悩んでるんだろうけど)。
とりあえず今を生きるのは精一杯、しかし現状に対して不満や不安を感じている。少し前の自分もこんな感じだったので人のことは言えないのだが、まぁそういう傾向がある人が自分の周りには多かった。
そんな感じなので、悩み相談とはいうものの結局は彼らの職場の愚痴を聞いてやることしか出来てない訳なんだけど、今何かアドバイスするなら、いきなり凄いことをやることを目標にするんじゃなくて、今目の前に積んであるタスクを一生懸命やって、結果を積み上げ続けて信頼されるようになりなさいよ。以上。
…平凡過ぎる、この老害が、ダメエンジニアが、万年草なしgithubアカウントが、と罵りの声が至る所から飛んできそうだけど、決してブログだからといって適当なことを言ってる訳じゃなくて、マジでこれをちゃんと続けられない人が多いんだってばよ。
オッサンに片足突っ込んだ自分がこれまでのキャリアを振り返ると、長く生き残ってて周りから信頼されてる(ここがミソ)エンジニアって、まず目先のことに最大限取り組んで、ちゃんと結果を出して、それを積み上げて今がある人ばかりだった。逆に、消えていった人や、歳だけ取って成果を出せない人はその逆が多かった。
どんなに地味な仕事、例えばwebappのtemplateファイルを1行修正するだけの文言変更とか、デザイナーの代わりに1日中延々とデザイナが作業した修正分をmasterマージし続ける仕事とか、1日中SQL打って本番データを調査するとか、そういう地味な仕事だって誤字も無くつまらないバグもなく確実にこなしてる。で、時々客観的に見てもすごいと思われる重要な仕事しっかりこなして、周りから賞賛される。けど、普段は大体地味で目立たない仕事を嫌な顔せず淡々と続けてる。だから結果的に周りから凄く信頼されている。
そういう「淡々と」頑張るエンジニアがチームを支えているという構図を何度も見てきた。もちろんその人だけがチームを全て支えている訳ではないが、そういう精神的屋台骨的な、困ったときの駆け込み寺みたいなポジションの人が必ずチームにはいたし、エンジニア、非エンジニア問わず信頼されていた。
別に、すべてのエンジニアが、今自分がいるチームから信頼されるようなエンジニアになりたいと思ってる訳ではないと思う。誰にも真似できない技術を身につけてそれを元に食っていくことが目標だったり、1人で密かにすごいものを作って一発当てることが目標、みたいな人もいると思う。あるいはエンジニアは新卒入社から2~3年で辞める予定で、将来は企画とかプロマネとかコンサルとかにジョブチェンジしたいという人もいると思う。(なお新卒時の自分はSEを経てITコンサルになるつもりだった)
目標は自由であっていい。そりゃ自分の人生なんだから。
けど、もし今、何の目標もなくて何となく焦ってしまっているようであれば、まず自分の目の前に置かれている、退屈かも知れない仕事をこなすことに集中して、それを積み上げていくことに集中してみても、きっと損はないよということを言いたかった。
自分にしても、プログラミング自体ちゃんとやるようになって5~6年だし、未だに大した技術力もアタマもないのにここまでやってこられたのは、目の前のタスクをこなすことにいつも全力で集中してきたからだと自負している。積極的に新しいことを勉強してきた訳じゃないけど、目の前の課題を解決するためにあれこれ模索してきた結果として、それなりにスキルもついてきている。途中、全く悩みがなかった訳ではないけど、目の前のタスクに全力で取り組んで結果を出して今自分がいられる場所を形成し続けることがこれまでの自分の生存戦略だった、とも言えるかも知れない。
8/24~8/26まで夏休みをもらっていたのでその時の活動記録を記す。
地方都市にありがちなやたらとでかくて平日はガラガラの地域交流センターで電車待ちしてる
松島駅から徒歩で移動。小雨が降ってきたが移動手段がほかに無いので歩く。
松島海岸着。小雨はまだ続くが海岸沿いを散策する。
松島海岸沿いの絶景の館にチェックイン。
夕飯は近所に食べに行きたい店がなかったので(海鮮かラーメンぐらいしかなかった)コンビニでパン買ってきて済ませた。
ゲーセンも無いし近所に何も娯楽施設はなくて暇なので温泉入って22時頃就寝。
いい加減このブログでもある程度固まったテーマに沿って技術的な話をしたいという思いもあるのだが、こういう教訓めいたポエムはそう気づいた時に書いた方がいいと思うので読者の皆様に置かれてはご勘弁願いたい。ポエム重点。
会社や組織によってマネージャーの仕事は異なるし、マネジメントの粒度や範囲が異なる。自分の過去を振り返ると、割と細かくマネジメントされてきた方なのだと思う。具体的な話をすれば、自分が持っているチケットは毎日進捗を朝回で報告させられる、なにか困ったことはないか?と1日に数回は聞かれる(ちゃんとした場ではなく昼食を取りながらとかの雑談レベルでそういう話が出る)。そういう職場が多かった。
それはそういうカルチャーだったからというのもあるだろうし、単に私が若かった(23歳~28歳ぐらいの話だ)からというのもあるだろうし、私の仕事っぷりが信用されていなかったからかも知れない。
自分はマネージャーからの「進捗どうですか?」に事細かに返答することが苦ではなかった。いつでも返答出来るように用意しておくことでいつでも自分の進捗を自分で管理することにつながると思っていた。だからマネージャーからは「進捗どうですか?」自分からは「進捗○○です」を返すのが普通の仕事の進め方だと思っていた。他のメンバーがどうだったかは知らない。しかし少なくとも自分はそういうやり方がワークする方法だと考え、自分が少数のチームのリーダー的なことをしていた時もメンバーのタスクは自分のタスクのように考え、割とマイクロマネジメントをしていたように思う。
そういう社会人生活を送ってきていたのだが、最近は様子が異なり、マイクロマネジメントをされることが無くなってきたことに気づいた。 会社やプロジェクトが変わればやり方は変わる。考えてみれば当然のことだが、何となく自分は常に同じようにマネジメントされながら仕事をしているのだと思い込んでいた。
しかしその思い込みは危険な思い込みだ。
自分が毎日出している日報、定例会議で進捗共有をしていいれば、自分をマネジメントする立場の人が情報をキャッチアップして勝手にあれやこれやと気をもんでマイクロマネジメントしてくれることはないケースもある。(というか今までが開発現場としては良い意味で特殊だったのではと思う)
必要な情報は全部こちらから関係者を質問攻めにして取りに行く。困っているかどうかなんてのは一切聞かれないから自分からどんどん進捗を吐き出す。困ったら「俺はこんなに困っているんだ!助けてくれ!」ぐらいのテンションで発信して助けてもらう必要がある。そういう現場に今はいるのだが、それはきっと世に言う「自走するエンジニア」ならば当然のことなのだろうと思う。
要件定義から設計から実装からプロジェクト進行管理からテストからリリース後の面倒まで全部見るのがエンジニアの仕事だと自分は思っているのだが、仮にそうならば上記のように働けなければ嘘である。要件の詳細や気をつけるべき所は向こうから全てもらえる、向こうがスケジュール引いて関係者と調整してくれているのであれば、それはこっちが要件定義やプロジェクト進行をサボっているのだ。
自分はその視点がどこか抜けていたのだと思う。全部やるのがエンジニアの仕事だと言いながらも実際は設計や実装にしか目が行っていなかったのではないか。そういう「受け身」の姿勢でいたせいで、そう反省させられるようなミスが最近何度かあった。
その上で自分がどうふるまうべきかと色々考えたのだが、ふとそれは、「マネジメントのマネジメントをすることではないか」と考えるようになった。
自分がどうマネジメントされたいかをマネージャーに伝え、自分の役割はこれこれで、マネージャーの役割はこれこれという風に役割分担したい、というところをきちんと合意しておく。こうすることで、自分が期待するマネジメントを受けることができて作業漏れを防いだりお互いのストレスを軽減できるのではないだろうか。
もちろんマネージャーから見てその役割分担が不適切であったり、実際回してみて上手くいってないと感じるのであればその度に見直しはあって然るべきだし、プロジェクトの進行状況に応じてお互いの役割も段々と変わっていくと思う。大事なことは、そういうことを「きちんと対話」して決めることだ。何となく言いたいことがお互いの中にあっても言ってなくて何となく役割決めましたみたいな感じだとそれはトラブルの元だ。
で、今まで自分はこういうことは考えても見なかったのだが、その理由として暗に「マネージャー=エンジニアより立場が上=逆らってはならない」という考え方が染み付いていたからだと思う。どこでそういう風に思い込んでしまったのか分からないが、それは間違った考え方だと今は思う。
自分が見てきた優秀なエンジニアはマネージャーに対してプロジェクトの進め方について意見していたし、寧ろマネージャー以上にマネージャーしていたエンジニアもいた。そういう人たちがやっていたことはまさに「マネジメントのマネジメント」だったのではないだろうか。現場のエンジニアが動きやすいようにマネジメントに対して要求する。そういうアクションはエンジニアからしか出来ない訳で、それもまたエンジニアのれっきとした役割なのではないだろうか。
というような、考えてみれば当たり前のことを最近になって改めて実感した。エンジニアとして働く中で、技術的な悩みよりも人間関係の悩みの方が圧倒的に多いし、現場で起きているトラブルも「大本を正せばエンジニア間のコミュニケーション不足が原因」みたいなことが多い。
逆にそこを上手く回せるようになってこそプロのエンジニアだと思う。自分はまだまだ出来ていないが、楽しくエンジニアとして働くためにマネジメントのマネジメントもスキルの一つとして磨いていきたい。
前にやる気がでなくて困るという割とどうでもいいエントリーを書いた。
あれから3ヶ月ぐらい経ったのだが、最近また再発している感じがあって、gdgd色々考えながらイカになってインクを掛け合ったり年端もいかぬ(一部いってる)女性達を戦場に送り出すマネジメントの合間にかろうじて仕事をしているような状態である。しかし集中が続かなかったり、つまらないことにハマって時間を延々かけてしまうようなケースが増えていて過去の自分の開発スピードを知っているだけに非常にもどかしい気分に苛まされている。
何故やる気が出せないのかが分かれば苦労はしないのだが、Joel On Sofrwareにも数週間ぐらい何も出来ない時ってオレにもあるけどさ、とりあえず手を動かし始めれば何とかなるよというポエムがあるくらいなのでそこまで気にすることもないのかも知れないのだけれど。
現に5月いっぱいは元気だった。元気に仕事していた感あるし、自己評価的には生産性はまぁまぁ高い方だったと思う。それが6月に入って、右足首の剥離骨折とかいう、重症なのか継承なのか良くわからない診断をされてから家から一歩も出られなくなったのもそりゃ関係しているのだろうとは思う。
とは言え、もうプライベートに新しいgemを試してみるとか気になるossのソースを読んでみるとか技術書を読んでみるとか、前はよくやっていたことが全くできなくなっていていいよいよヤバみを感じ始めた。何も有意義な活動をする気が起きない。今日も午前中は病院に行ったが、午後はギター弾いたりイカになってインクの海を泳ぎ続けているうちに日が暮れてしまった。Code Completeもせっかくamazonのセールで半額ぐらいで買えたので早く読まないとと思いつつ「そんなん知ってるぜ…」みたいな内容が延々続いて読むモチベーションが続かない。復習もかねて最初から全部読んでるが、もしかしたらEffective Javaみたいに自分が興味のある章だけをつまみ食いするように読むのが正解だったのかも知れない。
とにかく足が治ったらまた外出しよう。人と会おう。全てはそこからだ。
自分にとっての射撃とは基本的に人と会って話をすることだ。