「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を読んだ
- 作者: 押見修造
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2013/11/19
- メディア: Kindle版
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イケダハヤト氏のブログで紹介されていて気になっていた「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を読んだ。
忘れてでもいない限り自分の名前は誰でも言えると思う。 だから大抵の人はこのマンガのタイトルを見て不思議に感じるのだと思う。
「大抵の人」はこのタイトルからどういうストーリーを感じるのだろうか。
「自分の本当の名前を知らない孤児の話?それとも何かの暗喩?」とかそんなもんだろうか。
自分がこのタイトルを見て最初に思ったのは「あー、あるよねー」みたいな感じ。
自分も「名前が言えない」タイプの人間である。
自分の名前を知らない訳ではない。親からもらった名前はスラスラ書ける。
webサービスでサインアップする時に入力できる。紙面やディスプレイ上の文字列を「自分の名前」として認識できる。
できないことを挙げるとするなら、「口頭」で「自分の名前」を「発音する」ことができない。
いつも、という訳ではなくたまに出来ない。だから美容室の予約とかするのに異常なほど緊張してしまう(ので最近はメールで予約している)。
ここまで書いても「なんのこっちゃい?」と思う人が大半だと思う。
いや、自分自身「なんのこっちゃい」と思っている。
吃音という言葉について
「吃音」(きつおん)という言葉をどれだけの人が知っているのか知らないが、まぁそういう言葉がある。なお自分は大学生になってからwebで偶然見つけて初めて知った。
wikipediaによれば
発語時に言葉が連続して発せられたり、瞬間あるいは一時的に無音状態が続くなどの言葉が円滑に話せない疾病
なんだそうだ。で、自分もこれに該当する。
円滑に話せないというのも色々あって、
「おおおおおおおおおおおおにぎりが食べたいんだなななな」
みたいに無駄に連発してしまうケースと
「お、、、、、、、、お、、、、、お、、、、、」
となって何故か言おうとしていることが言えないパターンとか色々ある。
もっとリアルに書くと「あの、、、あの、、、、、、、あの、、、あ、、、あ、、、、、、」っていう感じになる。
自分の場合は後者の症状が出る。それまで流暢に会話してたのに突然発声できなくなる。
上手く表現できないのだが、話したい言葉は一語一句頭の中で完成しているのに、「何かが」発声を妨げている。そんな状態。なお、現代医学でも原因は詳しく分かってないそうなので、どうしてそうなるのかは分からない。
本作の内容について
吃音の説明が少し長くなったが、このマンガ、吃音持ちの人間からすると「異常なほどリアル」である。
リアルすぎて過去の数々のトラウマが蘇ってきて気分が悪くなるくらいリアルである(褒め言葉ですw)
吃音で辛いのはコミュニケーションが取れないことではない。 大抵、身振り手振りで何とかなるし、レストランで注文が出来ない時なんかはメニューを指さしてそれっぽい表情をすればよい。
辛いのは「自分が変に思われている」と思う点にある。
要するに、
普通の人は普通に口頭で会話ができる。 普通の人は友達とクソくっだらない雑談ができる。 普通の人は面白いことを思いついたらそれを話して友達を笑わせることができる。 普通の人は飲食店で注文ができる。 普通の人は居酒屋で注文ができる。 普通の人は道行く人に道を聞くことが出来る。
そういう「普通の人」ならできることができない、ということが「異常」であり「不自然なこと」だと周囲が感じる以上に本人自身が強く思っていて、それを気にしている。
これが吃音の本当の恐ろしい所であり、世間からあまり理解されない所である。
「周囲からそういう変な目をされた」と自身が思うことで、自分自身を傷つける。 それがどんどんトラウマになって性格も控えめになる、人と距離を置こうとしてしまう、結果ますます孤立する、という負のループにハマってしまいやすい。学校教育で「普通であること」が強く求められるこの国では、「普通の人と同じことが出来ない」ってのは思っている以上に人を追い込む要因なのかも知れない。
作中でも主人公は上記のような「負のループ」によって辛い目に遭う。
詳細は内容を読んでいただくとして、高校生だと辛いよな。女の子ならなおさらじゃないだろうか。「日常会話」の重要度が男のそれとは恐らく大分違うだろうし。
いや、男でも辛いか。少なくとも、本来対して人見知りでもないのに、同級生とまともに会話できないせいで無駄に距離を感じて親しくなれなくて自分は辛かったし、そのせいで高校時代は完全にグレちまって、小説をめちゃくちゃ読み始め(何故か夏目漱石が好きだった)、Medal of HonorやCall of Duty(初代)等のFPSにのめり込み(思えば高校時代からFPSクランに入ってた)、アニメやギャルゲにまで手を出して完全に二次元にハマってしまい、現在の自分がある(完全に言い訳)
自分は18年もこの謎の症状と付き合ってきたので、もう最近はまともに発声できない可能性を分かった上で会話しているし、いざ「どもって」も「あーどもってるわー。まじつれーわ。まぁいいや。」ぐらいにしか思わない。今日もzoomで朝会やってて豪快に吃った気がするが、自分が伝えなければならないことはちゃんと伝えられたはずなので業務に問題はない。
とは言え、世の中の吃音持ちの人達の中にはかなり深刻に悩んでる人も結構いるらしく、「吃音」でググると「吃音対策サイト」みたいのが沢山出てくる。その中には「吃音でも就ける仕事リスト」みたいのもあって結構驚いた。吃音によって自分の仕事まで制限されてしまうケースもある、ということなのだろう。自分は幸い職業を制限される程ではない。そこまで喋りまくらなくても何とかなる仕事をしているから、という側面もあるかも知れない。
随分長々と書いてしまった。
自分も同じ経験があるだけについ自分のことを書きたくなってしまったのだが、この漫画自体は一巻完結で、気持ちのよい終わり方をする高校生の青春ストーリー的な構成になっていて、決して重々しい話ではない。重々しい気持ちになるのは自分のつらい経験と照らしあわせてしまうからかも知れない。