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プログラミングのこととかポエムとか

自分はストレス耐性が高い方ではなく、無駄に色んなことに気を揉んでしまう性格のせいか疲れを溜め込みやすい性格のようだ。そういうことに気づいたのはつい最近である。最近ではあるが、最近そうなったか?というとそうでもないように思う。振り返れば中学ぐらいの頃から余計なものをたくさん背負う癖があったようにも思うし、そうでなければ(全くそういうのに向いてないのに)生徒会役員とかやらなかっただろうなと思う。

心が折れるというのは面白い表現だと感じる。普段は折れていないのだろうか。まっすぐなのだろうか。それとも真っ直ぐでも折れてもない、いい塩梅に曲がっているのだろうか。そういう形状が通常時ならば、枯れ枝のようにポキっと折れていたら、それはまぁ誰が見たってまともな状態ではないという兆候なのだろう。

自分はどうか。自分のことは良くわからない。しかし、もう、特定のことしかやっていたくないと思うことが増えた。仕事に行かずにこれだけをやっていたい。それは本を読むことだったりコードを書くことだったり、或いは延々と映画を観たいとか旅行に行きたいとか、あるいは何の予定もなくサンフランシスコに行ってスタートアップ訪問したいとか、突拍子もないことだったりもするのだけれど、何かこう色々とうまく回せなくなってきていると感じる。この状況をどう捉えればいいか自分でもよう分からない。

がんばって客観的に自分の状況を鑑みるに、どうにもこうにも消化不良を起こしているような心情が占めているように思う。自分では納得してないけどやらなきゃならん、やるぜー、うぉーっ、と頑張ってきたことが、ある日突然外的要因により、それはもうどうしようもないくらいの力によって、ポシャってしまう。そういうことがなぜか自分の身にはたくさんあった。

そういうことが何度かあって、結果として、自分は何も成果を残せていない。残せていないから、何も自分で自分を褒める要素なんてない。当然誰からも評価はされない。新たに得たものは何もない。一応会社員としてはこれはまずい。種を植えることになって、自分はいつものように土を作っていたが、やーそろそろ種を植えようかね、というところで、畑は使われなくなってしまった。使われないから自分は畑をもとの状態に戻した。

気がつけば、確実に結果を残せることを自分で身つけて拾って片付けるようなことに自然と意識が傾き始めた。必然であったし無意識でもあったのだが、結果が残せるということは精神衛生上とても良いことだった。そうか、何かの本に書いてあったけど、小さな勝利を積み重ねるのは、だから大事なのか、ということに気付かされる。

プログラミングで言えば、細かいバグを直したり、リファクタリングしたり、依存しているライブラリのバージョンを(特に理由もなく)上げてみたり、テストが足りないところでテストを書いてみたりといった、まぁ概ね自分やらなきゃならないタスクではないとは思うような、間違えようのないタスクをやることが心の平穏につながる。どうやったってうまくいくし、自分の成果として形に残る。これは素晴らしいことだ。面白くはないけれど。

そうこうしているうちに、もしかしたら、少しは育つかもしれない種みたいのが何とか見つかってきている。

自分は土は作れる。だが種がなかった。だけど種さえあれば、何とかなるのではないか。そういう気持ちが、最近になって、本当に久しぶりなのだがようやく芽生えてきた。

そういうものをどうにかこうにか育てられればと願う。 願うだけでなく、芽が出るぐらいまでは、まぁ自分で面倒を見てやりたいと、そう思う。畑はいつでも移ることができるが、多分育てられる種は見つけた場所でしか育てられないと思うので。

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